ご氏名をお願いします
佐浦弘一 (さうら こういち)
現在のご所属などは?
浦霞醸造元 株式会社佐浦 代表取締役社長
代表商品
純米吟醸 浦霞禅
思い出の醸造物or 好きな醸造物or最近はまっている醸造物などを一品
純米吟醸 浦霞 寒風沢(じゅんまいぎんじょう うらかすみ さぶさわ)
その理由やエピソードをぜひ!
風光明媚な日本三景松島の湾内には大小さまざまな島々が点在しています。そのひとつに漁業を主な産業とする塩竈市に属する離れ島、寒風沢島(さぶさわじま)があります。島には市域の狭い港町である塩竈市では唯一田んぼがあり、天水を利用した米作りが行われています。弊社では島おこしの活動をしているNPOからの依頼で、その米を原料とした純米吟醸酒を醸造、島名をつけて販売しています。しかしながらその田んぼも3年前の東日本大震災による津波で水没し、復旧は絶望的かと思われました。島民の皆さん、NPO、行政そしてボランティアの方々の努力により、壊れた堤防が修繕され、海水に浸かってしまった田んぼも無事に復活し、米作りも再開されました。もともと島民の皆さんが食べられたり親戚等に贈られたりしていただけの生産量でしたので、造っているお酒の数量も限られ地元限定の販売となっていますが、関係者の皆さんも、もちろん私も毎年その出荷を待ちわびる商品となりました。原料米品種はささにしき、精米歩合60%の味わい深い純米吟醸酒です。
思い出の写真
この写真は、東日本大震災の1年後である平成24年4月に、被災からの復旧を果たした慰労会として、社員のみならずパートタイマーや季節勤務の蔵人も含めた弊社全員参加にて開催したときの記念写真です。震災では塩釜市内に位置する弊社の本社蔵が地震はもちろんのこと津波による被害を受けましたが、消費者の皆さんの応援や関係各位の尽力、そして社員従業員の活躍により設備建物の復旧が順調にすすみ、平成23酒造年度も何とか酒造りを行うことが出来ました。普段は製造部門の社員だけで行う「造り仕舞」を兼ねて、感慨深い宴会となりました。
ご略歴
1962年 10月1日生まれ
1985年 3月 慶応義塾大学法学部政治学科卒業
4月 日本コカ・コーラ株式会社 入社 マーケティング本部勤務
1988年 5月 日本コカ・コーラ株式会社 退社
株式会社佐浦 入社 専務取締役就任
1989年 9月 ニューヨーク大学 大学院(経営学) 入学
1991年 5月 ニューヨーク大学 大学院 修了
2001年 12月 株式会社佐浦 代表取締役社長就任
2008年 6月 日本酒造組合中央会 需要開発委員会 委員長(現職)
2014年 5月 宮城県酒造組合 会長
宮城県酒造協同組合 理事長
趣味
音楽鑑賞、旅行、美味しいものを飲むこと・食べること、ゴルフ(弊社では昭和10年開場の東北最古のゴルフコースを経営しています)
ご紹介者・竹村様からのメッセージ
佐浦さんは私と同い年ですが、その風格ある落ち着きっぷりは、とても同い年とは思えません。サスガは銘酒「浦霞」の蔵元って感じで、私もあんなふうに落ち着きのある男に生まれたかったと、実はいつも秘かに憧れの目で見ています。ただ一度だけ、ミッツ・マングローブさんのお店「来夢来人」でカラオケを歌った時は、思いっきりハジケてましたね。また、ヒロミ・ゴーの歌を聞かせてください!・・・と、ギャグで攻めてしまいましたが、憧れているのは本当ですよ。あまり落ち着きのない私ですが、今後とも仲良くしてやってください!
竹村様へメッセージを!
竹村さんとは同じ年ですが、若々しい考え方と行動力には敬服しています。特に、大河ドラマの機会を活用して1年間にわたって坂本龍馬に扮した時には、(本当に似合っていました!)その努力と根性に驚きました。この業界にどっぷり浸かっていては思い浮かばない、核心をつくマーケティングの発想力は私も多いに参考にしており、弊社が開催している日本酒イベントの根拠にもなっています。今後もますます活躍され、日本酒業界を盛り上げていただきたいと思います。
告知などがございましたらお願いします
弊社では、四季折々様々な季節商品を出荷していますが、それに合わせて(主に地元ですが)各種イベントを開催しています。そのような情報などを弊社HPで発信しています。8月上旬には全面リニューアルの予定ですので、是非ともご覧下さい。
最後に今後の抱負や期待することを教えて下さい!
日本酒造青年協議会の会長を務めていた時に、「酒サムライ」事業やIWC日本酒部門の創設など、有志の皆さんとともに日本酒の海外普及に関わって参りました。日本酒をはじめとする國酒の輸出振興が「クールジャパン戦略」政策のひとつとして政府の支援をいただきながら業界を挙げて取り組みはじめている現況を、感慨深く思うこの頃です。この「追い風」をいかに自らの推進力として「日本酒」を「世界酒」としてさらに普及をはかるか、これは日本酒業界の生き残り策ばかりでなく、私たちが永年にわたって育んできた世界に誇るべき「日本酒文化」をいかに広めていくか、私たちの矜持でもあります。「業界の発展なくして個々の企業の発展なし」の気持ちを強くもって、微力ながら活動して参りたいと思います。